自閉スペクトラム症(ASD)のうたが2歳だったときの様子です。
2歳過ぎてから特性が強くなりだした
2歳過ぎてからくらい、急に特性が強くなりだした感じがありました。
具体的にはこんな感じ。
- 数字や文字(ひらがな、アルファベット)が大好き
- 言葉は単語(一語文)のみ
- 目線が合いずらくなる。写真を撮るときカメラ目線になかなかならない。
- やたら物を一列に並べる
- くるくる回るものが大好き(シーリングファンやありとあらゆるタイヤ)
- ぴかぴか光るものが大好き(電光掲示版や自転車の反射板)
はっきり覚えていませんが、遅くても2歳2か月には数字は20まで数えられていましたし
ひらがなとアルファベットは読めるようになっていました。
ひらがなは頑張って教えたとかではなく、この本👇の読み聞かせで勝手に覚えました。
アルファベットはYoutubeからかな。
目線が合いにくくなってきたのも2歳すぎてから。
こっちがカメラを持って声や表情で気を引かないとカメラを見ないようになりました。
あとおもちゃなどものをやたら一列に並べたり、くるくる回るものやぴかぴか光るものを見つけると
ずっと見て(触って)居たくてなかなかその場を離れなくなりました。
役所にて簡易検査へ
1歳半健診のとき「2歳になったらまたお話しましょう。役所から電話します。」と言われていたんですよね。
が、2歳になっても電話が来ない。
私も毎日仕事でばたばたしていたので自分から電話をかけることもないまま暫く経ってました。
2歳3か月頃、通っていた園から「もしかして自閉スペクトラム症(ASD)なのでは」という話があり
そこですぐに役所に連絡しました。
そこで順番待ちで簡易検査すら半年後と言われやきもきしていると、キャンセルが出て連絡した翌月に簡易検査に進むことに。
簡易検査では型はめなど息子の目の前でいろんな道具を出して簡単な検査をしました。
が、息子は出されたおもちゃで遊んで声かけに反応しなかったり、
壁にある掛け時計を見て数字を読んだりと検査自体に真面目に取り組むことができませんでした。
ちゃんとできていたものもいくつかありましたが。
「まだ人よりモノへの興味が強いですね」「目に見えるものの認知が得意ですね、普通より発達が早い部分もあります」と言った話がありました。
正に自閉スペクトラム症の特性を言われたため、
「息子は自閉スペクトラム症(ASD)なんでしょうか?」と聞くと
少し驚かれた様子で「色々ご自分で調べられましたか?」と聞かれ「少し調べた程度です」なんて会話をしたのを覚えています。
「特性は出ているので『自閉スペクトラム症グレー』ではあると思います。」とのこと。
次は地域の支援センターでもっと詳しい検査をすることを決めました。
が、ここでも半年から10ケ月待ち、と入れてガクっとなってしまいました。
が、この待っている間何もできないのはもったいない!と民間療育の見学に行ったり、
自宅でABAの初心者向けの本を読んで勉強し、ゆるーいABAを家庭内でスタートしました。
その時読んで参考にした本はこちら👇
そうこうしている間に2歳と7か月くらい?には2語文が出始めました。
支援センターでの検査
結局半年以上待ち、支援センターでの詳しい検査は2歳11か月頃でした。
そこでは医師との診察と臨床心理士による検査がありました。
医師との診察はほとんど親への問診でした。
息子うたも同じ部屋でおもちゃで遊んでいましたが、医師はあまりうたの方を見ず、事前に書いていった問診票を見ながら
問診票にすでに書いてある質問をし、私達が問診表に書いた通りの答えを答える、といった感じでした。
あとから知ったんですが、医師の診断ってDSM-5を基になされるんですね。
DSM-5については下記記事が分かりやすいと思います。
DSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)とは?主な内容、診断基準としての使われ方、診断後に受けられる治療・支援を解説します
DSM-5の原文は確認していませんが、支援センターの医師の様子を見るに
おそらく親への問診でほとんど診断ができるものになっているのかな、と想像します。
後日臨床心理士との検査は「新版K式発達検査」で行いました。
内容は役所で実施した検査と似たような感じでしたね。
問診と検査の一か月後、「自閉スペクトラム症(ASD)」と正式に診断がつきました。
おわりに
人生が大きく変わったと言っても大げさではないと思うくらい、
一気にいろんなことが動いたうたの2歳台だった頃の話でした。
親である私のメンタルのアップダウンも相当でした。
が、そんな時支えてくれたのは夫や親友、友人たちの言葉でした。
今でも自分を支えてくれる言葉になっているので、また別の記事で紹介したいなと思います。
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